高田観音
江戸時代以前は、現在地より500m東にあったと伝えられている。伊達政宗による会津侵攻や戊辰戦争などにより度重なる火災に遭い、焼失・破壊され、現在の本堂、庫裏、観音堂は、明治23年(1890)10月に再建されたものである。その際、火災を避けるため、土蔵造り絵入格子天井で建てられ、明治25年8月の銘がある大鰐口が掛けられている。
本尊は十一面観音で、温もりがあるといわれており「人肌観音」とも呼ばれている。以前は33年に一度の御開帳の秘仏だったが、近年は年に一度、8月10日に半開帳としての御開帳がある。
【御詠歌】
昔より立つとも知らぬ天王寺 奥の細道轟きの橋
日本遺産 平成28年度認定
住所/ 福島県会津美里町字高田甲2968