養老四年(720)徳道上人により建立された、会津の中でも最古級の寺。
僧・徳一が恵日寺を開くまでは、会津仏教文化の中枢と言える程栄えていた。
日本遺産 平成28年度認定
法用寺本堂内 厨子及び仏壇
・国指定 重要文化財
・昭和三五年六月九日 指定
本堂(観音堂)安置の三間厨子で禅宗様の建築である。鎌倉時代の正和三年(一三一四)銘の棟札があり、記年銘のある厨子では会津最古のもの。また、厨子下の仏壇は欄間のコウモリ狭間が珍しい。
会津美里町教育委員会
木造金剛力士立像
・国指定重要文化財
・昭和三五年六月九日 指定
・阿形 224.0センチメートル
・吽形 216.0センチメートル
金剛力士立像は、本来、金剛杵を持った夜叉の像で、阿形・吽形の二体が並んで寺門を守るため仁王(二王)とも呼ばれる。
当山の両像は、2メートルを越える巨像ながら、ケヤキの一木造りで彫られている。その忿怒の形相や筋肉及び衣文の表出には、力感があふれているが、決して誇張されたものではなく、両腕の配置、腰のひねりによって力を内に秘めた逞しい姿に整えられている。
藤原時代の金剛力士像としては、県内はもとより、全国的にも類例が少なく、京都峯定寺の像とともに逸品に数えられている。
会津美里町教育委員会
法用寺三重塔
・福島県指定重要文化財(建造物)
・昭和五十五年三月二十八日指定
・所在地 会津美里町雀林三番山下3554
・所有者 法用寺
・木造・三層宝形造・銅板葺(もとこけら板葺)
・方三間
会津地方に現存している唯一の塔遺構で、禅宗様の三ツ斗・三手先斗栱・二重の繁棰を使用した軒の深い建築である。繁棰は初層と二層を平行棰、三層を扇棰とし、また各組ごとに尾棰をおき、斗栱の間にはそれぞれ間斗二個を詰めて配するなど、応用部分も多く、禅宗様の末期的手法によったものである。
建立年代を示す棟札・墨書銘などは見当らないが、第二層には、明和五年(一七六八)に飛騨高山の二右衛門と越国仙七の描いた設計図板がある。
藩政時代に寺社奉行に提出した調書の写しといわれる天台宗「寺縁起」(会津若松市常光寺蔵)、および『新編会津風土記』などの記載によると、安永元年の起工で、同九年(1780)の竣工とあり、寺の創立以来再々建にあたるといわれる。
なお初層には、内陣に後補の祭壇を組み、釈迦三尊を祀ってある。
福島県教育委員会
雀林観音
養老4年(720)徳道上人により建立された、恵隆寺についで古いお寺。僧・徳一が慧日寺を開き、会津で仏教を本格的に広める前までは、会津の仏教文化の中心といえるほど栄えていた。
当初、集落の西に建立されたが大同2年(807)の火災で、堂、仏像が焼失し、その後、徳一によって現在の場所に再建され、十一面観音を二躯造立している。
この二躯の観音像が法用寺観音堂の本尊として地域の人々に信仰されている。なお、火災により炭化した「火中仏」は現存しているが秘仏となっている。
木造十一面観音像(桂・欅)
・福島県重要文化財
・所有者 法用寺 昭和四三年一二月十日指定
・桂と欅の二軀がある。どちらも一木彫成。
桂の像は内刳がなく、瓔珞、胸飾りもすべて墨書である。裳、天衣の彫刻は深く飜波の跡も見られる。像高一四七.五センチ、台座三三.五センチ。
欅の像は後世に彩色がなされ、元の風貌はとらえ難い。像高一五四.五センチ、台座一六センチ。両像とも藤原前期の作である。
会津美里町教育委員会
木造得道上人坐像
・福島県指定重要文化財
・所有者 法用寺
・昭和四三年一二月十日指定
養老四年(720年)に法用寺を開基した名僧の像である。肌の部分に麻布を張り、その上を黒漆で仕上げてある。寄木造、眼は玉眼で水晶製。像高八七.五センチの鎌倉時代末期の作。
会津美里町教育委員会
銅鐘
・福島県指定重要文化財
・所有者 法用寺
・昭和三十年一二月二七日指定
総高104.53㎝、口径75.75㎝の大鐘である。文明六年(1474)の銘がある。越後国妙実と火玉(現会津本郷町)大工の合力で鋳造したとある。
会津美里町教育委員会
十一面観音板木
・福島県指定重要文化財
・所有者 法用寺
・昭和四六年四月一三日指定
縦62.3㎝、横30㎝、厚さ1.7㎝の板に十一面観世音像が繊細に刻まれ、像の左側に「雷電山法用寺御正体」、右側に「応永四年(一三九七)丁丑二月九日」陽刻がある。奈良長谷寺式十一面観音で長谷寺や志渡寺の原像が失われた現在、古来の原型をとどめる貴重な文化財である。
会津美里町教育委員会
虎の尾桜
・会津美里町指定天然記念物
・昭和四六年四月一日指定
名称の由来は、オシベが花びら化した形が虎の尾に似ているためといわれている。会津五桜の一つ。開花時期はおおむね四月下旬である。
平成三十年三月 会津美里町教育委員会