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会津三十三観音 第三十番札所 中田観音(普門山弘安寺)

中田観音

 弘安2年(1279)中田の領主、富塚盛勝によって開基されたといわれる。

 本尊は、十一面観音を中尊に不動明王・地蔵菩薩を脇侍とした珍しい形式で、像としては大きなものである。

 この観音像には、悲しい伝説が伝わっている。東南にある佐布川集落には江川常俊という長者がおり、一人娘の常姫(千歳)が富塚盛勝への悲恋の末に亡くなったことから、供養のため等身大の観音像を鋳造建立したと伝えられている。鋳造は寺より700mほど西側の奥の院で行われ、完成した観音像を長者のもとに運ぼうとしたところ、どういうわけか車が動かなくなってしまったことから、この地に観音堂を立て、安置し供養したと伝えられている。

 

日本遺産 平成28年度認定

住所/ 福島県会津美里町米田字堂ノ後甲147

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弘安寺 旧観音堂厨子

*国指定重要文化財
*昭和三十五年六月九日 指定

 この建物は、もともと十一面観世音菩薩像を祀った厨子であった。寛永十九年(1642)より慶安元年(1646)にかけて観音堂が修復された際、堂外に出して辨天堂と改めたと伝えられる。

 修理については、天保十三年(1842)に塗り替えがあり、昭和八年に土台を入れ、軒を二軒とするとともに屋根も茅葺から本瓦葺に葺き替えられた。また昭和四十七年十月一日より昭和四十八年六月三十日まで解体移築修理を行ない、現在の保管庫内へ移築されたものである。

会津美里町教育委員会
 


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銅造十一面観音及脇侍立像

・国指定重要文化財

 文永十一年(1274)長者江川常俊が娘の菩提を弔うために十一面観世音菩薩立像を鋳造し愛娘の心が宿るここ中田の里に納めたといわれる。

 次いで弘安二年(1279)富塚伊賀守盛勝公が伽藍を造営し普門山圓通閣と称した。その後、普門山弘安寺と改名され、観音堂におさめられて現在に至る。

・『十一面観世音菩薩立像』 鋳造物で御身の丈 六尺一寸七分 (1m87cm) 光背に文永十一年 (一二七四) 八月八日の銘文がある
・『脇侍 不動明王立像』 同三尺一寸四分 (95.1cm)
・『脇侍 地蔵菩薩立像』 同三尺一寸 (93.9cm)

三体とも、昭和三年四月三日 国宝に指定。
昭和二十五年八月 国指定重要文化財となる。

会津美里町教育委員会